ゴリラの社会科

授業で扱ったことをあげていきます。

LGBTとか,同性愛とか,セクシュアリティといわれるものについて

1.ゴリラの同性愛

山極寿一の博士論文のテーマは,ゴリラの同性愛について,である。

 

霊長類の性行動の特徴は,幼少期に性衝動を示す,らしい。

これは人間でいう「セックスがしたい!」という若き青年期の衝動ではなく,「性的な遊び」のことを指す。人間で言えばお医者さんごっこに近い。

 

例えば,京都市動物園の子どもゴリラは,同性異性問わず遊びの中で性行為をする。腰を振ったり,恋鳴きをしたり。これが成長しても同年代のなかでの性的な遊びが続いていく。これがオス同士のホモセクシュアル交渉につながっていくと考えられる。

 

一方で他の霊長類,例えばボノボチンパンジーは,成長につれてそうした行動は見られなくなり,年上の異性と性交渉をする。

 

やはり遺伝子が近いだけあり,人間もボノボチンパンジーよりなのだろうか,と思ったが,同年代との性交渉という点ではゴリラでもあるのかなーと思ったりもする。日本の場合,同年齢との空間が22歳ごろまで延々と続くので,それはそれで文化的要因でもあるとも思う。話がそれた。

 

山極は,ゴリラのホモセクシュアル交渉の背景として,ゴリラはオス同士の優劣関係があまりなく,対等な関係が性的交渉につながりやすいのではないか,と指摘する。

 

2.同性愛という概念がみえなくするもの

イスラム教徒は,戒律で同性愛が禁じられている。

しかし,9世紀ごろのアッバース朝では,成人男性の性愛対象となって,受動的な性向を行う「グラーム」と呼ばれる髭のない美しい若者と,ムハンナスという髭を剃って女装し,女性的なふるまいを好んで行う成人男性がいたという(辻大地,2022,東京大学シンポジウム「イスラーム×ジェンダー 「境界」を生きる/越える」)。

 

こうした事実から,トランスジェンダーとして性社会を研究する三橋順子は,伝統的なイスラム社会において厳しく禁じられている同性愛とは,髭を生やした大人の男同士の性愛であると推測する。そしてこうした同性愛の限定的な禁止は,広くアジアに見られる文化的な普遍性であるとも指摘する。

 

換言すれば,男性間の性愛の是非を,キリスト教の性規範をベースにした近代西欧文化の所産である「同性愛」概念で論じては,いろいろ見えなくなるということだ。(三橋順子 2022: 30)

 

まさにその通りだと思う。辻や三橋の指摘からは,伝統的なイスラム社会で禁止されているのは「同性成人愛」とでもいえる性交渉のあり方であることが見えてくる。

 

三橋の類型には,ほかにも「都会女性ジェンダー」を身に付けた男性ー地方の男性といった都市―地方の関係などもあり,興味深く拝読した。

 

三橋順子,2022,「いろいろつながる話――日本とアジアのセクシュアリティ」『図書』2022年7月号,28-31.

amzn.to

 

3.中学社会科のなかのセクシュアリティ

中学社会科では,公民的分野の憲法基本的人権などを扱う単元において,新しい人権として同性間パートナーシップが取り上げられる。

 

生徒に同性愛や同性のパートナーシップについてどう思うのかをとうと,次のような類型が見られた。

1 包摂型(圧倒的多数ほんとか知らんけど)

2 差別はダメだけど個人的な気持ちとして非寛容型(2割ほど)

3 排除型(2,3人)

 

排除型の生徒からは,同性愛の結婚を認めると,子どもを産む人が少なくなり,少子高齢化を加速させるだけではなく,経済の停滞も予想される,という論理構成が見られた。なんか毒されてるなーと個人的には思うが,ほかの生徒から意味わからんと一蹴されていた。

 

時間の関係上,憲法に立ち返ることができなく残念だったが,改めて既習事項をいかして考えてもらう機会にすればよかったと後悔した。

 

さて,これまでの話を振り返ってみよう。

ゴリラは対等な関係から生まれる同性愛があり,アジア圏では非対等な関係の同性愛が認めれらていた一方で,成人男性間の同性愛はタブーとされてきた。そして,現代日本では,キリスト教的な同性愛概念による排除型と,新しい?セクシュアリティや人権観による包摂型と。

 

霊長類という包括的なくくりのなかで,性愛行動を分類すると何か面白いものが見えてこないかと思った今日この頃である。

 

あとがき

三橋順子の著作はこんな面白そうなものがありました。