ゴリラの社会科

授業で扱ったことをあげていきます。

三内丸山遺跡で縄文の時を過ごす。カローラツーリング初ドライブへ


カローラツーリングが納車されて二日目。余韻も冷めやらぬうちに,初ドライブとなりました。
目的は三内丸山遺跡。往復500キロの初ドライブと,夏の自主研修記録をお楽しみください。

 

三内丸山遺跡は,なんだかんだで初めて訪れました。世界遺産になったこともあり,開館時間には行列ができるほどの人気ぶりです。おもしろい話が聞けそうだったので,ガイドさんと一緒に復元遺跡を回りました。

こうした復元は骨格の素材は発掘されていても,屋根や壁はモノが残ってない場合が多いらしく,ここではいくつかの考えられるパターンを復元しているんだとか。

 

下の写真は高校の資料集でよく見るやつです。これと栗がセットで掲載されていたのを覚えていませんか?ちなみにこれは本物の栗の木を使っていますが,復元当時日本国内の同サイズの木は切らせてもらえず,ロシアから運ばれたものらしいです。こんな栗の木が実在すること自体が驚きなんですが・・・。

ここ,三内丸山遺跡はゴミ捨て場が3ヵ所あり,土器や土偶が多数発見されています。遠目からでも,土器の文様がはっきりとわかりますね。

三内丸山遺跡縄文人は,たくさん土偶を作っていました。

縄文時遊館解説パネル

そして解説にもあるとおり,この土偶すべてが女性です。

よくみると3つの出っ張りがあります。昔は真ん中の出っ張りが男性器を示すものかと思っていましたが,どうやらおへそのようです。上2つの出っ張りが乳房,そして真ん中のおへその下にある1本の縦スジがどうやら女性器のようですね。これはじっくりといろんな土偶を見比べることができるここならではの発見でした。

縄文時遊館展示品

2枚目は上2つの突起がありませんが,やはり女性器が彫られていることが分かります。

時遊館展示品

そして,実は土偶のほとんどが破壊されたものであり,元の形を保ったまま発掘されたのはわずかに30体ほどです。安産を祈願し,出産と同時に身代わり的な意味で破壊された呪術道具だったのかもしれませんね。

 

三内丸山遺跡を遺跡を後にして,われわれ一行は八甲田山にむかいました。途中はやはり八甲田遭難事件で亡くなった方々が眠る墓地と資料館へ向かいました。

 


ここに眠る兵士の多くが岩手県出身であることをご存じですか。恥ずかしながら,岩手県人としてはじめて知る事実でした。親元を離れ,混乱極める世界情勢のなかで生まれ,対ロシアの作戦遂行訓練中に亡くなるなど,本人も想像していなかったことでしょう。冬山の恐ろしさを後世に伝え続けています。

 

今では八甲田連峰にロープウェイでのぼることができ,絶景を見ることができます。秋の紅葉はもっときれいなのかもしれません。ロープウェイ駅より毛無岳方面を望む。

 

お昼ご飯は少しリッチな蕎麦屋さん「無垢」で。2枚は多すぎました。。。

 

天ぷらそば大盛